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アトリエ椋とは・・・
鹿児島と宮崎、同じ九州で育った我々も、波佐見町という名前は馴染みが薄く、学生時代、工場見学で訪れたり陶磁器の研修で夏休みを過ごした時も、まさかこの地で何十年も暮らすとは正直思っていなかったものです。しかし縁あってこの地に職を得て、家族を持ち、現在の地に家を持って30年以上経ち、今ではすっかり地元に溶け込んでいます。我が家の庭にひとりでに生えてきた椋の木の力強さに自分たちの生き方を重ね合わせ、勇気をもらったことから、この木を我が家のシンボルツリーと考え、工房を立ち上げた時にもすぐこの木のことが頭に浮かびましたので、工房の名を「アトリエ椋」としました。アルファベット表記はちょっとひねってMUQです。 |
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アトリエ椋所在地 |
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〒859-3701
長崎県東彼杵郡波佐見町折敷瀬郷1264
TEL/FAX 0956-85-5063
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また、アトリエMUQの商品のご注文につきましても、メールやFAX、お電話などでお問合せください。
なお、アトリエ椋はあくまで工房で、店舗ではありません。ほぼ一人で運営しているため、直接工房にいらっしゃっても留守にしていたり対応ができないこともありますから、お越しになる際は事前にご連絡をいただけると助かります。 |
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アトリエ椋商品取り扱いのショップ |
(有)アイユー |
波佐見町皿山郷 |
(株)キハラ |
佐賀県西松浦郡有田町赤坂有田焼卸団地 |
※なお、それぞれのショップでセレクトされた商品のみの取り扱いとなっております。 |
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椋の木図鑑
ムクノキ
にれ科ムクノキ属
学名〈Aphananthe aspera〉 |
関東以西の山地に自生する落葉高木。成長が早く、よく分枝し、幹は直径4メートルにもなる。樹皮は灰褐色、縦に浅い筋がついている。葉は互生し卵形で縁に鋭い鋸歯がある。葉の表面はざらざらしていて、工芸品の磨きなどに使われた。春、葉が開く頃に淡緑色の花が咲き、果実は熟すと黒くなって甘い。 |
椋
むくのき、松楊
和名 無久 |
本網椋江南林落の間に生ず、大樹なり、葉は柿に似て両葉相当り、子細円にして牛李の如し。生は青く熟れば黒し、其木堅重汁に煮て色赤し、其材松の如し、其身楊の如し、故に松楊と名づく。其陰は蔭涼なるべし。故に椋と名づく。按ずるに椋の樹欅に似て微白色、其材堅重、用て搾酒木と成す。其葉樫の葉に似て薄く堅く鋸葉あり、枯れてもなお堅し、葉の面を以って象牙鹿角及び木器をみがく、木賊より勝れり、其子黒色にて円く龍眼肉の皮を去りたる者の如きなり、小児喜んでこれを食す、本草に柿の葉に似たりといふは非なり。相伝て曰く源空上人出生の日、幡此樹に降下る。因て誕生木と名く、彼の宗派の輩、其の念珠を貴重とす。其木作州久米郡にあり。(和漢三才図会より) |
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椋の木の物語 |
1997.8月 |
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子どもの頃は引越しばかりしていた。ずっと社宅暮らしで、柱のキズも壁の落書きも許されず、植木も鉢植えと決まっていた。いつ転勤を言い渡されても良いようにと母は当座必要のない荷物は解かずにおいたものだ。いろいろな土地に住んでみるのも面白い体験ではあるが、慣れ親しんだ家といくつもの別れをするうち、幼い頃の記憶も曖昧になってしまうのは寂しいものである。長い家族の歴史が紡ぎ出されているような、古い家のたたずまいというのに憧れを抱いていた。
あれは初めて念願の「自分の家」といえる今の家に住み始めていくらも経たないころのことである。小さかった息子たちを育てるのに悪戦苦闘していたある日、私はこの木と初めて出会った(らしい)。まだ木とも草ともつかぬひょろひょろした一本の苗は、手触りがほんの少し他と違っていた。雨上がりに一斉に萌え出した草をせっせと抜いていたから、ひとおもいに抜くのは何の造作もないことだったけど、何となくひっかかった。可愛い花でもつけるんじゃないかという淡い期待もあって、ふと手が止まって残しておいたのだった。 |
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その後、いく度か草刈鎌の刃からも逃れ、次の年にははっきり木だと分かる姿になった。たぶん、庭に飛来した鳥の糞の中の種から発芽したのだろう。数枚つけた葉っぱから、素性も判明した。ニレ科のムクノキ属、椋木(ムクノキ)である。夫は子どもの頃、よくこの椋の大木に登って遊んだという。枝がしなやかで折れにくく、子どもが登ったりぶら下がったりするのに最適なのだそうだ。「まあ、十年も経てば登れるようになるやろうなあ」と言うので、私たちはその木を「十年目の木」と名付けた。毎日、目先の事に追われ、しょっちゅう小さな事件に見舞われながら暮らしていた私には、十年先なんて遠い霧の彼方、はるか先に思えてピンと来なかった。
だが、三年経ち、五年経ちするうち、枝を伸ばし、花をつけ、実り、その木はずんずん大きくなった。六年目にはもう子ども達をしっかりその枝の内に抱き、涼しげに豊かな葉を風にそよがせて、夏の朝の窓辺に陰をつくり、ひんやりした風をおくってくれるようになった。小さな実は黒く熟すと甘く、落葉の後も残る実を目当てにさまざまな鳥たちがやって来るので、居ながらにしてバードウォッチングが楽しめる。 |
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もちろん、鳥だけでなく子どもたちにも大人気で、まだ小さくて登れない子には、大きい子が兄貴ぶりを発揮して取ってやったりしていた。近所の子どもたちも登りに来た。初めは引っぱってもらったり押し上げてもらったりしながらだんだん要領を覚えて、一人で登れるようになっていく。あちらの枝、こちらの枝に子どもが鈴なりになっている。ある子はロープをたらし、別の子は板を渡して昼寝の場所をこしらえる。最近こんなに活躍する木というのもなかなかないんじゃないかと思う。
私たちも、来る人ごとにこの「十年目の木」を紹介し、その生い立ちから、葉が工芸用のやすりとして有用なこと、実が甘いこと、小鳥がたくさん来ることなどを得々と説明し、希望者には、こぼれ種から育った苗まで進呈する始末であった。他にこれといって自慢するものを持たぬ我が家の一番の財産であり、家宝なのである。といっても、それほど手塩にかけて育てたいうのではないのだが、あのひょろひょろの草のようだった「十年目の木」は、よほどこの土地とうまが合うらしい。三年目にして私を追い越し、七年目には屋根を越し、枝もあちこちぶつかり、せん定を余儀なくされた。以前から植えてあった他のどの木よりも太く高くなり、落ち葉の量も、一本の木から落ちたとは思えないほどの量である。初めは面白がって集めていた子どもたちも、大きな袋にいくつ詰めても、まだあとからあとからふりそそぐ葉っぱにうんざりといった様子である。 |
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そして今年は十年目。小さかった息子たちは、三人とも私の背丈を越え、もう木登りもあまりしなくなった。誰かがくくりつけた鳥のエサ台が葉陰にのぞくだけで、あの甲高い少年達の歓声ももう聞こえない。あの頃、十年なんてうんざりするほど長い年月だと思ったけれど、過ぎてしまえばあっという間で物足りない。あの、子犬のように疲れを知らない子どもたちともっとたくさん遊びたかった。今となってはもう無理だけど、あの頃なら一緒に登れたかもしれない。あの木の上で、さらさらという葉擦れの音を耳元で聞きながら遠くをながめたり、昼寝をしたり、実をついばんだり、もっとじかに触れ合って子どもたちと椋の木を共感すればよかったと思う。たぶん、子どもたちの記憶には、この椋の木の存在は幼なじみか兄弟のようなものとして残っているにちがいない。
残暑になごりの蝉が鳴いている。今年の夏はいつになくたくさんの蝉がこの「十年目の木」の下からはい上がり、羽化した。おそらく彼らの母蝉は、まだそう大きくはなかったこの木の将来を見通して、七年前に卵を産みつけたのだろう。たくましく成長する椋の木の下で安らかに幼虫時代を過ごし、無事成虫になったのだ。今年、「十年目の木」は「蝉の木」と化した。
台風の過ぎた日、私は庭に降り、椋の木を見上げた。たくさんの生きものを育み、地を育み、水を貯え、風を防ぎ、この地にしっかりと根を張って、我が家のシンボル、椋の木はまだまだ大きく成長するつもりらしい。 |
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M,Ishihara |
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●プロフィール |
〈略歴〉 |
石原重行 |
1951年2月
1971年
1972年
2001年 |
生誕
大分県立芸術短期大学卒業
(株)西山(〜2016)
陶磁器工房「アトリエ椋」を開く |
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〈活動履歴〉 |
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1974年
1986年
1988年
1993年
1994年
1996年
1999年
2001年
2002年10月
2003年 5月
2003年 6月
2004年
2004年 6月
2008年
2010年
2011年
2012年
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〜ながさき陶磁展入選
九州クラフト展出展
第1回美濃国際陶磁展入選
日清めん鉢展入選
ながさき陶磁展知事賞
ながさき陶磁展知事賞
サッポロビールジョッキコンテスト入選
九州山口陶磁展第3席
サッポロビアマグランカイ展入選
ながさき陶磁展最優秀賞
佐賀「ギャラリー遊」にて初の個展
新宿高島屋「森正洋と仲間たち展」出品
別府「ギャラリーおおの」にて個展「器サマザマ展」
ながさき陶磁展にて審査員特別賞
新宿高島屋「森正洋と仲間たち展」出品
第8回美濃国際陶磁器展入選
ほぼ日作品大賞入選
ながさき陶磁展佳作
長崎デザインアワード2012にて金賞受賞
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〈所属〉 |
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1972年〜
2000年〜
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九州陶磁器デザイナー協会(DAKT)会員
九州クラフトデザイン協会会員
元・波佐見町バドミントン協会
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アトリエ椋主宰
石原 重行
Ishihara Shigeyuki
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アトリエ椋広報担当
石原正子
Ishihara Masako
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〈略歴〉 |
石原正子 |
1951年11月
1972年
1973年〜75
1975年
1983年
1993年〜2000年
1993年
2001年〜
2004年〜2012年
2006年〜
2010年〜
2021年〜2023年 |
生誕
大分県立芸術短期大学卒業
ハマナカ株式会社入社
結婚・波佐見に転居
普通車運転免許取得
金鉱パッケージでデザイン顧問
英検2級合格
パソコンインストラクタ、グラフィック・Webデザイナー
佐賀県立有田窯業大学校非常勤講師
波佐見文化編集委員(2018〜2020編集長)
はさみ観光ガイド協会会長
波佐見町歴史文化交流館勤務 |
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〈活動概歴〉 |
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1997年
2008年 |
ながさき陶磁展第2席
第22回工業都市高岡クラフトコンペ 入選
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〈所属〉 |
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1995年〜
2000年〜
2000年〜
2002年〜
2005年10月〜
2007年〜
2010年〜
2007年〜
2011年〜
2012年〜
2015年11月
〜2021年3月
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手話サークルゆびのわ
波佐見混声合唱団
NPO法人やまびこネット協会
日本フィルハーモニー協会波佐見支部
波佐見町社会福祉協議会理事
はさみ観光ボランティアガイド協会
はさみ観光ガイド協会(会長)
点訳ボランティア「でんでんむし」
NPO法人波佐見講堂ファンクラブ
おはなしのへや・?(はてな)
波佐見町歴史文化交流館建設検討委員
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